長笠原栄風

1929(昭和4)年、集金係として入局。米良の個人指導を受け4年後アナウンサーに。潜水艇からの中継などアイデアマンとして頭角を現す。中国で軍に協力した放送実績を買われ、開戦前に軍と南方での放送計画を作成。開戦後はベトナムから偽情報を流す謀略放送を実施して軍のジャワ島侵攻を容易にした。