松内則三

ラジオ放送開始の1925(大正14)年入局。野球や相撲など日本のスポーツ実況放送の原型を作る。講談調の実況が全国的に大人気で、アナウンサーの大御所として有名だった。太平洋戦争の開戦後は、フィリピンやビルマの放送局長を歴任して、米良や館野ら後輩アナの“電波戦”を陣頭指揮した。