慶長19年(1614)11月、大坂冬の陣の火ぶたが切って落とされた。出丸や砦(とりで)を破壊され、じりじりと城内へ追いやられていく豊臣軍の中で、唯一、徳川軍に打撃を与えたのは真田幸村だけだった。幸村は巧みな軍略で敵を真田丸へ引きつけて撃退する。しかし、徳川方の100を越す大砲による攻撃に淀君が恐れをなし、12月22日に和議が成立。真田丸は打ち壊され、大坂城の外堀も埋められることとなる。