武田家が滅び進退を迫られた真田家。昌幸は嫡男・信幸の意見を取り入れ織田信長に接近し生き残りを図るが、信長は真田を試すかのように滝川一益を派遣しその支配下に置こうとする。昌幸は反発し戦おうと意気込むが信幸は甘んじて受けるべきといさめる。昌幸は渋々ながらも滝川一益との会見に臨むが、一益は意外にも真田によるこれまで通りの領地支配を認める。そして天正10年6月。織田信長は本能寺に入る。