慶長十六年。関ヶ原天下分け目の戦から早十数年、天下をほぼその掌中に収めた徳川家康のただひとつの懸案は、豊臣秀吉の嗣子・秀頼の存在であった。この目の黒いうちに何としてでも大阪を潰さねばー。そこで家康はある策略を思いついたのだった。